沢村賞の資格や条件とは?沢村栄治の歴史や歴代受賞者も紹介!

今回は、沢村賞の資格や条件に加え、沢村栄治の歴史や歴代受賞者も紹介していこう。

2017年の沢村賞受賞者は菅野智之投手(巨人)に決定した。

巨人投手の沢村賞受賞は2002年の上原浩治投手が受賞して以来、実に15年ぶりとなる。

同じく選考基準をクリアしていた菊池雄星投手(西武)と一騎打ちとなり、選考委員も30分間にわたる白熱した協議が行われたが、「菊池の防御率1・97もものすごい数字だが、(菅野の)1・59と差はある」として、最終的に菅野が受賞することとなった。

投手としては最高の栄誉とされている沢村賞。では、どれだけの結果を残せば、この沢村賞を受賞することができるのか。

そして、そもそも沢村とはどのような人物だったのか。早速紹介していこう。

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沢村賞の資格・条件

沢村賞を受賞するにあたって、投手は以下の7項目すべてをクリアする必要がある。

・登板試合数 25試合以上

・完投試合数 10試合以上

・投球回数  200イニング以上

・勝利数   15勝以上

・勝率    6割以上

・奪三振数  150個以上

・防御率   2.50以下

正直、このレベルの選考基準をクリアするのは一流の投手でも難しい

打たれないということは必須条件だが、完投をできるような球数に抑えつつも奪三振を多く取り、怪我なく1シーズンを終えなければ決して受賞することは叶わないだろう。

特に菅野は、WBC2017にも出場し、見事な投球を魅せてくれた。その後すぐにシーズンが開幕し、不調に喘ぐWBC選手もいるなかで安定した投球をみせ、沢村賞受賞までに至っている。まさしく日本のエースといっても過言では無いだろう。

選考委員を最後まで悩ませた菊池も、もちろんこの7項目の条件を満たしている。

最終的には防御率の差で菅野に軍配が上がったが、一時はW受賞という案もあったほど、どちらも素晴らしい成績を残している。

 

ちなみに、来季からは沢村賞の選考基準に「クオリティスタート(QS)」が追加されることになる。

QSは6回以上を投げて自責点3以内に抑えた場合に記録されるもので、沢村賞の場合は7回以上、このQS達成をすることが条件として加わる。

更に受賞はシビアになりそうだ。

沢村賞の歴史~沢村栄治とは?~

沢村賞が出来たきっかけ

1947年に、読売新聞社が戦前のプロ野球黎明期において豪速球投手として名を馳せた沢村栄治の栄誉と功績を称えて制定したのが、沢村賞の始まりである。

沢村栄治とは

沢村賞の由来である沢村栄治は、1917年2月1日に生まれ、1944年12月2日に戦争により没した。

1934年には日米野球の日本代表に選出され好投。世界のスラッガー、ベーブ・ルースとも対戦している。

プロ野球リーグが開始された1936年秋には、中山武とのバッテリーで史上初のノーヒットノーランを達成。

同年12月、大阪タイガースとの最初の優勝決定戦では3連投し、巨人に初優勝をもたらした。1937年春には24勝・防御率0.81の成績を残して、プロ野球史上初となるMVPに選出された。さらにこの年は2度目のノーヒットノーランも記録するなど、日本プロ野球界を代表する快速球投手として名を馳せた。

そのボールは160キロを超えていたとも言われており、世界でも通用する投手として注目されていたのである。

しかし、徴兵によってその野球人生は激変。1938年から1940年途中まで軍隊生活を送り日中戦争(支那事変)に従軍し、その強肩が災いし、多くの手榴弾を投げさせられたことにより右肩を故障。更には左手を銃弾貫通で負傷してしまう。

しかし、右肩の故障にもめげずサイドスローに転向。抜群の制球力と変化球主体の技巧派投球を披露し、3度目のノーヒットノーランを達成している。

その後、予備兵として軍に戻り、肩の故障が悪化。アンダースローに転向するも思ったような投球はできず、1944年シーズン開始前に巨人から解雇された。

「巨人の沢村で終わるべきだ」という鈴木惣太郎の言葉から現役引退を決意し、プロ野球人生に幕を下ろした。

現役引退後、1944年10月2日に再び軍に戻る。同年12月2日、フィリピン防衛戦に向かうため乗船していた軍隊輸送船が撃沈され、27歳という若さでその命を落とした。

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プロ野球初の永久欠番、そして沢村賞の樹立

通算63勝22敗、防御率1.74という素晴らしい成績を称え、1947年、巨人は背番号14をプロ野球では初となる永久欠番に指定。

また、同年に沢村の功績と栄誉を称えて沢村賞が樹立。その年のプロ野球最高投手に与えられる最高の栄誉として、現代まで続いている。

1959年には野球界殿堂を果たした。

沢村賞歴代受賞者

それでは最後に、過去10年間の沢村賞受賞者を紹介しよう。※所属球団は沢村賞受賞当時のもの

年度 選手名 所属球団
2007 ダルビッシュ有 日本ハム
 2008 岩隈久志 楽天
2009 涌井秀章 西武
2010 前田健太 広島
2011 田中将大 楽天
2012 摂津正 ソフトバンク
2013 田中将大 楽天
2014 金子千尋  オリックス
2015 前田健太 広島
2016 K・ジョンソン 広島
2017 菅野智之 巨人

 

前田健太投手、田中将大選手が2度の受賞を果たしている。特に2013年、楽天が日本一に輝いたこの年の田中将大選手の成績は驚異的であり、24勝0敗、防御率は1.27という成績を残している。

年によっては「該当者なし」もあるほど獲得が難しい沢村賞を2度も受賞している前田健太選手と田中将大選手は、さすがと言うべきだろう。

まとめ

いかがだっただろうか。

プロの投手であれば誰でも憧れる賞。それこそが、沢村賞である。

選考の際に基準となる項目は、それを満たすだけで球界のエースを名乗れるほどの厳しい基準。だからこそ、それを満たし、沢村賞を受賞するということは、投手にとって最も価値のある賞なのだろう。

ちなみに沢村賞を受賞すると賞金300万円と金杯が授けられる。だが、それよりも「沢村賞を受賞したこと」こそが、最高の栄誉なのではないだろうか。

果たして2018年はどんな投手が沢村賞を受賞するのだろうか。来季のプロ野球も、すでに楽しみである。

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