今回は、高校野球において歴代最強チームや年代別最速ピッチャーを紹介していこう。
第99回を迎える、夏の甲子園。
毎年、4000校以上が参加し、全国制覇を目指して、戦っている夏の高校野球。
これまで、本当に数多くの高校が甲子園を目指し、実際に出場し、しかしながらその殆どが悔し涙を流しながら、甲子園を去っていった。
また、甲子園の歴史がひとつずつ築き上げられるたび、高校の歴史もひとつずつ築き上げられ、甲子園でも恐れられる強豪や、名門と呼ばれる高校が数多く生まれていったのである。
KKコンビ(清原・桑田)が甲子園を席巻したPL学園、やまびこ打線と恐れられた池田高校、甲子園の怪物・松坂大輔を生み出した横浜高校、近年、急激に名乗りを上げてきた大阪桐蔭・・・。
様々な高校が現れるたび、甲子園を彩り、その姿にファンは酔いしれていった。
さて、これまで99回もの数、夏の甲子園大会が行われてきた。
その、これまで積み上げられてきた甲子園という歴史のなかで、史上最も強かった高校はどこなのだろうか。
また、松坂大輔や辻内崇伸、佐藤由規、菊池雄星、大谷翔平のような、甲子園を賑わせたスピードスター達も、歴代別に紹介していこう。
高校野球においての歴代最強チームベスト5
もちろん、この話題においては様々な意見があるだろう。
あなたが思う歴代最強もあるだろうし、必ずしもその意見と合致できないという点においてはご了承願いたい。
今回は、甲子園出場数も踏まえ、歴代最強を独断で決めさせていただいた。
第5位・・・興南(沖縄)-2010年
2010年の興南の強さは圧倒的であった。春のセンバツは西東京の名門・日大三を破り優勝。そして夏は、一二三(ひふみ)擁する東海大相模から大量13得点を奪い優勝。史上6校目の春夏連覇を沖縄県勢が制するとは、誰が予想しただろうか。
なかでもエース・島袋の存在感は凄まじいものがあった。メジャーリーガー・野茂秀雄を彷彿とさせるトルネード投法で、浮き上がるような直球を次々投げ込む姿は、まるで打たれるような感覚がしなかったように感じる。
甲子園出場回数よりも、その1年で与えたインパクトから、第5位に選ばせていただいた。
第4位・・・大阪桐蔭(大阪)-2012年
第5位は2012年の大阪桐蔭。現在、阪神タイガースで活躍しているエース・藤浪と、1年後輩でありながら強気な姿勢とバッティングで、現在は西武ライオンズに所属する森がバッテリーを組んでいた。
大谷翔平の世代でもあり、数多くのスター選手がいた2012年に、見事春夏連覇を果たしたのがこの大阪桐蔭である。
まさしく近年、激戦区である大阪で急激に名を上げはじめた大阪桐蔭。
これまではPLこそが大阪の代表だったが、見事に世代交代に成功したように思える。これからの甲子園を支えていくといえる、名門高校に相応しい実力を身につけている。
春夏連覇は史上7校目の快挙であり、これまでにも全国制覇の経験は3度ということも踏まえ、4位に置かせていただいた。
第3位・・・横浜高校(神奈川)-1998年
高校野球は筋書きの無いドラマとはよく言われるが、もしもこんな筋書きを書いてしまえば、あまりに非現実的過ぎて、すぐさまボツとされてしまいそうな程の強さを誇ったのが、98年の横浜高校である。
98年のエースといえば、プロでも輝かしい成績を残した松坂大輔。同世代には和田毅、新垣、木佐貫、村田修一、矢野謙次など、今でもプロで活躍しているような選手ばかりが揃っていた。
この”松坂世代”で松坂大輔が残した功績。それこそ、「無敗伝説」である。
97年の秋、松坂世代の新チームが結成されてから、98年の国体に至るまで、ただの一度も負けることなく高校野球を終えたのである。公式戦数は合計44試合。これだけの試合を、全て勝ち抜いてきたのだ。
“神宮大会優勝、春のセンバツ優勝、夏の甲子園優勝、国体優勝の4冠”を達成。
しかも、98年夏の甲子園準決勝では延長17回、球数250球を一人で投げぬき完投勝利。
決勝ではノーヒットノーランを達成。負けるどころか、ヒットさえ許さない圧倒的な強さで夏を制した。
こんなマンガがあったとしたら、非現実過ぎて誰も手に取らないだろう。
それほどまでに、圧倒的な強さを誇っていたのである。
第2位・・・池田高校(徳島)-1982年
1982年、伝説を作ったのは、徳島の山あいにある公立校であった。誰しも、開幕直後はこの池田高校が全国制覇を果たすとは思わなかっただろう。
蔦文也監督率いる「やまびこ打線」は、現在でも耳にするほどインパクトのあるフレーズであるが、池田高校はこの82年の夏、当時のチーム最多安打となる6試合で85安打。超攻撃的野球で相手を粉砕し、数々の強豪を打ち破っていった。
まるで「負ける前に勝てば負けない」とでもいうようなゴリ押しの打線であったが、そのスタイルは緻密な野球を求められていた日本の野球には強い衝撃を与えたのである。
蔦文也監督は、「芯が外れても腕力があれば飛距離は伸びる」という金属バットの特性を生かすため、部員の上半身を徹底的に鍛え上げた。
準々決勝の早稲田実業には、プロでも活躍した荒木大輔も所属していたが14得点で圧勝。また、決勝では緻密な野球を目指してきた広島商業相手に、それをあざ笑うかのような圧倒的打力を披露し12-2で大勝。
なかでも、2試合連続でホームランを放ち、「恐怖の9番打者」と呼ばれた山口は、9番打者ながら最も恐れられた存在であった。
この”やまびこ打線”はその後の高校野球における指導方針にも影響を与え、コツコツと点を取るようなスタイルを取っていたチームも、強打で打ち破るスタイルに鞍替えするなど、各方面に強い衝撃を残したのだ。
未だに語り草として受け継がれる池田のやまびこ打線。その伝説的な野球から、第2位に選ばせていただいた。
第1位・・・PL学園(大阪)-1985年
やはり、甲子園において最も強い印象を与えた最強のチームといえば、KKコンビ率いるPL学園ではないだろうか。
K(桑田)K(清原)という黄金コンビは、後にプロ野球界を代表するようなスター選手になったが、この2人が同じ世代、同じチームにいたと考えると、感慨深いものがある。
2人は1年の春からそれぞれエースと4番で公式戦に出場し、既に主力としてPL学園を引っ張る存在となっていた。
この2人が在籍していた1983年~1985年のPL学園の強さは、もはや伝説的な強さを誇っており、
1年夏・・・夏の甲子園優勝
2年春・・・春のセンバツ準優勝
2年夏・・・夏の甲子園準優勝
3年春・・・春のセンバツベスト4
3年夏・・・夏の甲子園優勝
と、春夏全てにおいて甲子園に出場しており、その成績も優勝2回、準優勝2回、ベスト4を1回。
これまで春夏連覇を達成したチームは多数あるが、5季連続でここまでの成績を残したのは、このPL学園のみである。
桑田の甲子園通算成績は20勝3敗、防御率1.55という驚異的な数字を残している。
また、清原の甲子園通算成績はセンバツ最多タイ記録の3本塁打、夏の甲子園歴代最多となる5本塁打も放ち、歴代1位の13本塁打の記録を保持している。
甲子園で実況が放った「甲子園は清原の為にあるのか」という名実況も頷けるほどの成績を残していった。
余談だが、絶対的な存在感を放っていた2人は進路についてもかなりの注目を集めていたが、清原が入団を熱望していた巨人は桑田を指名、その後大きな”確執“をもたらし、また野球界を騒がせることとなった。
間違いなく、歴代最強はこのKKコンビ率いるPL学園だと思っている。
もしこの実力のまま現代に再び現れたとしたら、どんな成績を残していたのか・・・。
というわけで、高校野球における歴代最強チームベスト5を発表させてもらった。
次に、甲子園を、そのストレートのみで大きく沸かせたスピードスター達を年代別に紹介しようと思う。
[ad#ad]甲子園大会における年代別最速ピッチャーを紹介
1980年代・・・中山 裕章-150km(1985)
1980年代最速ピッチャーは、1985年に高知商の中山 裕章が叩き出した150km。
この年には、KKコンビ率いるPL学園とも対戦しており、惜しくも3-6で破れている。
ドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団。プロでも150kmを超える直球と落差の大きいフォークを操り、主にリリーフエースとして活躍した。
現代でこそスポーツ医学やトレーニングも発展し、150kmを超えるピッチャーは珍しくなくなってきたが、この時代に高校生ながら150kmを超えた投手は、中山ただ一人のみである。
1990年代・・・松坂 大輔-151km(1998)、新垣 渚-151km(1998)
1990年代最速は2人。まずは横浜高校が生んだ怪物、松坂大輔。
入学当初は自他共に認める練習嫌いであったが、2年の夏、横浜商業戦で投じたサヨナラ暴投をきっかけに猛練習に励むようになり、3年の夏には遂に151kmを甲子園でマークした。
最後の夏、準々決勝ではPL学園相手に延長17回、球数250球を投げ完投勝利。また、甲子園決勝ではノーヒットノーランも達成し、まさしく誰も手がつけられない怪物と化した。
そしてもう一人は、沖縄水産の新垣 渚である。
高校入学前まではボクシングを始めようとしていた新垣だが、野球部に入部。たちまち沖縄水産の主力として活躍し始める。
1998年の甲子園では、松坂よりも先に151kmをマークし、高校最速投手として話題沸騰した。
残念ながら初戦敗退となったが、プロは大きく注目し、後にソフトバンクホークスに入団する。
プロ入り後は様々な苦しみを味わいながらも13年間現役を続け、ソフトバンクホークスに11年間、ヤクルトスワローズに2年間在籍。
現在はソフトバンクホークスの球団職員として古巣に復帰。野球の振興に関わっており、指導・運営に携わっている。
同じ151kmの記録保持者ながら、大きく明暗を分けた二人。しかし、その速球は高校野球ファンの目に強く焼きつき、この時代あたりから、これまでより更にスピードが求められるようになった。
2000年代・・・佐藤 由規-155km(2007)
2017年現在でも最速記録となっている155kmをマークしたのが、仙台育英の佐藤 由規だ。
2013年の入学当初は130kmにも満たない直球で、三塁手の控えとしてベンチに留まっていたが、足腰を重点的に鍛え始めてから球速は激変。1年秋には140kmをマークし、ここから次第にその名前が全国に轟き始めた。
そして3年夏、智弁学園戦で、甲子園最速となる155kmを計測。球場は大きくどよめいた。
また、その後行われた日米親善試合では157kmをマークし、歴代高校ナンバーワンピッチャーの呼び声も高かった。
卒業後はヤクルトスワローズに入団。
2010年には、横浜戦で161kmを記録。これは大谷翔平が記録を塗り替えるまで、日本人最速記録であった。
しかし、2011年頃から右肩痛に悩まされ、そこから2015年まで1軍での登板は無く、2016年には遂に、育成契約となる。
厳しいリハビリと、活躍できないプレッシャーに戦いながら、必死に1軍復帰を目指し、同年7月、再び支配下登録。
中日戦で5回1/3を2失点に抑え、1786日ぶりの勝利を飾った。
現在は、再びその直球に磨きをかけ、1軍で戦っている。
2010年代・・・安楽 智大-155km(2013)
佐藤 由規と同じく、高校最速記録タイを叩き出したのが、済美高校の安楽 智大である。
1年秋から背番号1を背負い、エースとして活躍。愛媛大会では地方大会ながら157kmを記録した。
しかし、当時の監督の方針もあり、完投が当たり前として扱われ、第85回のセンバツでは46イニングを投げ、合計の球数は776球。
この球数が問題視され、「虐待ではないか」という声も上がるほど、物議を醸した。
また、現在議論になっている、高校野球における球数制限の問題の発端ともなった。
しかし、2年生ながらエースとして出場した甲子園では無尽蔵のスタミナと驚異的な直球を操り、155kmを叩き出した。
高校卒業後は楽天イーグルスにドラフト1位で入団。右肩痛が心配されていたが、少しずつその頭角を現し始めている。
1年目で初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利を記録し、その後も先発として活躍。
時折不安定なピッチングを見せるものの、大器の片鱗は充分にかもし出している。
番外編・・・大谷 翔平-160km(2012)
残念ながら甲子園での記録では無いものの、3年の夏、岩手予選で高校生最速の160kmを放った怪物こそ、大谷翔平である。
この記録は恐らく今後数十年は破られることは無いといわれるほどの記録であり、プロ野球ですらほとんどいなかった、160kmを超える投手が高校生で現れたとして、球界を大いに賑わせた。
3年夏は岩手予選決勝で破れ、惜しくも甲子園の夢は叶わなかったが、プロ野球入団は確実視されており、誰しもがその動向を見守っていた。
が、しかし、大谷自身はMLB入団を熱望。日本のプロ野球よりもMLBへの憧れが強いことを語っていた。
その報道を受け、ドラフト会議では日本ハムファイターズを除くすべての球団が指名を回避。MLB行きを表明している中、ドラフト1位で指名した日本ハムファイターズに、大きなどよめきが起こった。
その後、栗山監督も自ら大谷を訪れ、何度も交渉を重ねた末に、日本ハムファイターズへの入団を発表した。
プロ野球界では史上稀な”2刀流選手”として活躍。
投げては日本最速の165km、打っては本塁打を量産と、プロ野球史上で見てもトップレベルの見事な活躍を見せている。
しかもまだまだ若い選手、今後更に技術を身につけ、身体も大きくなったとしたら、一体どれほどの選手になるのだろうか。
野球の歴史を大きく動かした存在であり、まさしく日本の至宝である。
まとめ
いかがだっただろうか。
歴代最強のチーム、そして歴代最速のピッチャーを紹介させていただいた。
もちろん、歴代最強チームに関しては完全に自論でしか無いが、それでも当時のPL学園の強さは異常であった。
さて、今年で99回目を迎える全国高校野球選手権大会。しかしここまでには、まさしく無数のドラマがあったことだろう。
そしてこれからも、筋書きの無いドラマが積み重ねられていくことだろう。
今回紹介した歴代最強のチームも、10年後には入れ替わっている可能性も高い。
高校最速記録を塗り替えるピッチャーも現れてくることだろう。
高校生が持つ、我々には想像も出来ないポテンシャルは、いつも素晴らしいものをみせてくれる。
果たして今年は、どんなドラマが生まれ、どの高校が深紅の優勝旗を持ち帰るのか。
今年も、高校球児達のアツい姿に、目が離せない。