今回は、夏の甲子園におけるホームラン数歴代ランキングを紹介していこう。
野球の醍醐味でもあるホームラン。それも、夢の舞台である甲子園で打てたら、一生の宝物になることだろう。
甲子園には不思議な力があり、これまで一本もホームランを打ったことがないような選手が、あっさりとボールをスタンドに叩き込むという光景もよく見られる。
そこからバッティングが開花し、予選までは7番あたりを打っていた選手が3番に”出世”することも、ザラにあるのだ。やはり、甲子園という舞台が、アドレナリンを放出させ、選手に一花咲かせるのだろうか。
さて、甲子園でも、野球の華であるホームランは毎年生み出されているが、これまで行われてきた。99回にも及ぶ夏の甲子園のなかで、最もホームランが出た大会はいつなのか。
ランキング形式で発表していこう。
【夏の甲子園】ホームラン本数歴代ランキング!
第5位・・・1985年(第67回大会)-46本
1985年といえば、PL学園の”KKコンビ”が一世を風靡した年だ。未だに語り継がれる名実況「甲子園は清原の為にあるのか」というフレーズが生まれたのも、この年である。
ラッキーゾーン(※)が設置されていたとはいえ、清原が放った一大会5本塁打という記録は、未だに破られていない甲子園記録である。
この年、PL学園は決勝で宇部商業を破り、全国制覇を果たした。
※ラッキーゾーン・・・甲子園ではホームランが出にくかった為、グラウンドを狭める目的で外野フェンスより手前を作った。
第4位・・・1984年(第66回大会)-47本
この年も、甲子園はPL学園のKKコンビに大いに沸いていた。この年、清原は1試合目の享栄戦で、3本ものホームランを打っている。
また、投手として有名な桑田も、6試合26打数10安打1本塁打5打点とバッティングでも活躍。
この年は惜しくも取手二に決勝で破れ、準優勝。しかしだからこそ、次の第67大会で甲子園記録となる1大会5本塁打を達成できたのかもしれない。
第3位・・・2008年(第90回大会)-49本
個人的に、この第90回大会で印象的だったバッターは智弁和歌山の坂口 真規(現・巨人)だ。
3回戦の駒大岩見沢戦では、史上初となる1イニング2ホームランという記録を作り出している。金属バットを軽々と操り、速球から変化球まで、しっかりと腰を据えて打つそのバッティングの美しさが、未だに鮮明に思い出されるほどだ。
また、この年に優勝を果たした大阪桐蔭も、スター揃いだった。奥村は決勝で満塁ホームラン、萩原は大会最多打点を塗り替える3試合連続の本塁打を放っている。
第2位・・・2012年(第94回大会)-56本
この大会には、大阪桐蔭のエース、藤波 晋太郎(現・阪神)をはじめ、大会奪三振記録を塗り替えた松井 裕樹(現・楽天)など、好投手が目白押しだった。それだけに、歴代2位のホームラン数というのは、なかなかに意外な記録でもある。
前年度の第93回大会では、ホームラン数は僅か27本だったのに対し、この大会では倍増している。
中でも大暴れだったのは、光星学院の北條だろう。この大会だけで4本のホームランは、清原が持つ大会記録に迫る本数だ。
ここまでホームラン数が伸びたことには諸説あるが、現代トレーニングが浸透したこと、空気の乾燥具合や、浜風の吹き方が総合し、このような記録が生まれたのではないだろうか。
第1位・・・2006年(第88回大会)-60本
記録にも、記憶にも残ったであろう2006年の夏の甲子園だが、実はホームラン記録も最多である。
やはり印象に残るのは駒大苫小牧エースの田中(現・ヤンキース)と早稲田実業エース・斎藤(現・日本ハム)の投げ合いだろう。
しかし、忘れてはならないのが、大阪桐蔭・中田(現・日本ハム)と、帝京の中村(現・ソフトバンク)。両者とも、甲子園で本塁打を放っており、その存在感を高校野球ファンに知らしめた大会でもある。
この大会では2者連続ホームランも数多く生まれていたり、智弁和歌山が作り出した1試合5本塁打という新記録も生み出されている。
それほどまでに、ホームランが多い大会だったのだ。
さて、しかし、現状の歴代1位は2006年の60本だったが、これを塗り替えようとする大会がある。
[ad#ad]2017年はホームラン本数が多い?
先述した通り、歴代1位は2006年の60本だったが、実は2017年、この記録を塗り替える勢いでホームランが量産されているのはご存知だろうか。
この記事を書いている時点ではまだ大会期間中であるため、最終的な記録はどこまで行くか分からないが、大会7日目、26試合を消化した時点で本塁打数は37本。すでに2016年の本塁打記録に並んでいる。もしこのままのペースで本塁打が量産されれば、68本となる計算である。
選手の実力と言ってしまえばそれまでかも知れないが、大会7日目にして既に去年の記録に並んでいるというのには、何かしらの理由があるだろう。
果たしてなぜ、ここまで急激にホームランが増えたのか。
単純に今年は”打”の甲子園である
数年に一度は、やたらと打撃が光る年はある。それに加え、今大会は”打高投低”とも言われているのだ。
絶対的なエースピッチャーがいない影響か、背番号二桁の投手がマウンドに上がっていることが今年は特に多い。
振り返ってみると、予選の段階から、投手戦というのはあまり多くなかった印象もある。
トレーニングが進化し、既にプロのような身体の選手が増えたのも、ホームラン量産の理由だろうか。
今年は単純に、打撃の良い選手が揃っており、ホームランが量産されているのかも知れない。
2017年はボールが違う?
※飽くまで憶測です※
今大会を観ていると、「あれ?その打球がスタンドに入るのか」というケースが非常に多い。
軽くこすったような当たりが、逆方向へとグングン伸びていき、そのままホームランとなるシーンも、何度も観た。
2016年が48試合、37本塁打、1試合平均0.77本だったのに対し、2017年は26試合時点で37本塁打、1試合平均1.42本ペース。
さすがにここまで本塁打数に差が出るというのは、選手だけの問題とは考えにくい。
とすれば、考えられる原因は「ボールが違う」という点。
2013年にNPBでも話題になった、ボールの”反発係数”。ボールがバットに当たった時、どれだけ反発するのかを表す数値だが、2013年のプロ野球では、意図的に反発しやすいボール、いわゆる”飛ぶボール”が試合で使われていたことが問題となった。
そして2017年。この大会でも、もしかしたらこれまでとは反発係数の違うボールが使われているのかも知れない。
もし反発係数の高いボールを実際に使っているとしたら、その理由は”清宮”にあるのだろう。
清原以来の怪物と呼ばれ、高校通算107本のホームランを放った清宮。もちろん、清宮に罪は無いし、この通算記録は実力の賜物である。
だがもしも、高野連が甲子園で清宮のホームランを演出しようと画策していたとしたら、ボールがやたらと飛ぶようになったのも頷ける。
高校野球とて、大事なビジネスチャンス。少しでも経済効果を増やしたいとすれば、大会最注目であった清宮がホームランを打つことが一番だっただろう。
なにせ、清宮がホームランを打てば一日中、各局が清宮を特集。新聞も一面。なんなら号外も出るだろう。日本中が、一人の高校生に夢中になってくれるのだ。
とすれば、ボールを変えてでも、清宮のホームランを後押ししたかったというのも、あながちガセでは無いのかも知れない。
先述したが、これは飽くまでも憶測や個人の感想であり、真実はどうなのかは分からない。
なにはともあれ、ホームランが多いというのは試合も盛り上がるし、素晴らしい成績である。1打で試合の流れが変わることもあるのが、ホームランの魅力だ。
そもそも甲子園球場はホームランが出にくい?
さて、ここまでは甲子園でのホームランに注目。これまでの歴代でも素晴らしい記録をいくつも作ってきた甲子園だが、実は甲子園という球場はホームランが出にくい。
東京ドームの両翼は100m、中堅は122mなのに対し、甲子園球場は両翼95m、中堅は118mと、そこまで大きい球場というワケではない。
また、甲子園球場は他球場と比べて、フェンスも低い。それではなぜ、甲子園球場ではホームランが出にくいのだろうか。
それはまず、左中間、右中間の距離にある。長打の打球は、この左中間、右中間に飛んでいくことが多いのだが、甲子園球場はこのエリアがかなり大きく膨らんでいるのである。
東京ドームの左中間、右中間の距離は110mなのに対し、甲子園球場は118m。それだけ、甲子園球場の外野は広いのだ。
その分、外野を抜けた打球は長打になりやすい。東京ドームでは滅多に見られない三塁打も、甲子園球場ではよく目にすることができる。単純に打球の転がる距離が8m伸びたとすれば、それも当たり前のことかも知れないが。
そしてもうひとつの理由に、浜風がある。この浜風は、左打者が引っ張った打球、つまりライト方向の打球を押し戻すような風になっているため、左打者は特にホームランを打ちにくい。
また、レフト方向に打ったとしても、高々と上がった打球の場合には滞空時間が長いため、その分風に押し戻されてしまう。
ライナー性よりもフライ性の打球が多かった高校生には、なかなか難易度が高かったようだ。
こういった理由もあり、本来甲子園はホームランが出にくい構造とされている。
だが、2017年の甲子園を観るに、現代のトレーニングを積んだ選手が、しっかりと打球を捉える事ができれば、浜風も関係無いのかもしれない。
まとめ
いかがだっただろうか。
歴代のホームラン記録ランキングをご覧いただき、高校野球ファンは思わず懐かしいと感じたのではないだろうか。
さて、99回も行われてきた大会で、積み上げられてきた長い歴史が、再び2017年に塗り替えられるかもしれない。
また新しい高校野球の風が吹き始めたのではないだろうか。