甲子園の土を持って帰る意味や由来!その後はどうする?

今回は甲子園の土を持って帰る意味や由来をはじめとして、持ち帰ったその後はどうするのかどうか具体的に紹介していきたいと思う。

遂に開幕した春のセンバツ高校野球。今年は第89回大会であり、WBCイヤーと相まって89(やきゅー)の年と言えるような大会である。

さて、開幕してまだ間もないが、既に涙を飲んだチームも複数いる。勝ったチームがいれば負けたチームもいるのだから、当然といえば当然なのだが・・・勝負の世界というのは、非情である。

負けたチームはそれぞれ、甲子園の土を持って帰る者、夏に再び甲子園の土を踏むことを誓い、持ち帰らない者もいる。持ち帰ったかどうかを聞く記者もいるぐらい、甲子園の土を持ち帰るということは慣例化しているのである。

しかし、なぜ土を持ち帰るようになったのだろうか。

今回は甲子園の選手ではなく、”土”にフィーチャーしていこうと思う。

スポンサーリンク

そもそも甲子園の土とは?

甲子園に使われている土は”黒土”と呼ばれるもので、鹿児島、岡山、鳥取、大分などの日本国内の土と、中国福建省の白砂をブレンドしたものである。

春と夏ではブレンドの調合も違い、季節の雨量や太陽光量を考慮し、春は白砂を多め(黒土5.5:白砂4.5)に、夏は黒土を多く入れる(黒土6:白砂4)ように工夫が施されている。また、内野で激しく動くボールを、観客が目で多い易いようにという配慮でもある。

このブレンドされた土を美しくグラウンド上で仕上げるのは、甲子園ではもはや知らぬ人はいないという存在、”阪神園芸”である。

その日の天気、湿度、スタンドの影、太陽光の強さを計算し、巧みにグラウンドを作り上げていく。

その腕前は阪神タイガースだけでなく他球団にも認められており、、東北楽天ゴールデンイーグルスのホームスタジアム、koboスタ宮城が2016年に天然芝を敷設した際に、マウンドや内野の土の部分を管理するノウハウを教えるため、1年間、阪神園芸の社員が常駐していたほどである。

このように、ただの土ではなく、選手のプレーを極限まで考えたとても立派な土といえるのある。

甲子園の土を持って帰る意味や由来は?

まず第一に「記念」という意味合いであることが強い。全ての高校球児が夢見る舞台に立てたという記念を、なにか形に残しておきたいという思いが強いようだ。

二つ目は「敗北を忘れないため」であるという。春のセンバツで負けたときには夏のリベンジを果たすために、最後の夏の甲子園で負けたときには後輩達に悔しさを覚えていてもらうために。

私が所属していた野球部の部室にも、ビンに入れられた甲子園の土が置いてあった。しかしその理由は、記念に置いていったわけではなく、そのビンを見るたびにあの日の悔しさを思い出してほしいという先輩達の思いが込められていた。

[ad#ad]

最初に甲子園の土を持ち帰った人は?

これは諸説あるが、一番有力なのは、1937年の第23回大会。

決勝戦で敗れて準優勝に終わった熊本工業の川上哲治(のち読売ジャイアンツ監督)が、決勝戦終了後に、甲子園の土をユニフォームのポケットに入れ、自校の練習場にまいたときが最初であると言われている。川上自身は甲子園以外で同様のことをしている選手の真似であったことを語っている。

甲子園の土を持ち帰った後はどうするの?

これはいろいろあるようだ。

私がいたチームのように、部室に飾られている場合もあるし、自分が今までお世話になったグラウンドに撒くという人もいる。

甲子園まで支えてくれた両親に渡す者や、後輩に思いと共に託すという意見も見られた。

ちなみに、両親に感謝の意味をこめて渡したのに、その後ご近所さんにご丁寧に配られていたという悲しいエピソードも見受けられた。

なにはともあれ、とてもアツい思いが込められている土である。粗野に扱ってはバチが当たるというものだろう。

甲子園の土に関するエピソード

・「砂全然取れねーよ!」と号泣しながら必死にかき集めている姿をカメラに収められた常総学院。

・土砂降りの中、もはや泥と化した土を持ち帰った東北高校

・柳川に6-2にされた時点で砂入れる袋探しだした智弁和歌山

・「砂は入りません」とインタビュアーにキッパリ発言しながら、地元に帰ったあと他校の球児に砂もらった横浜高校エース土屋

・「いっぱい持って帰ろうねー!!」という声を抜かれた02年の尽誠学園 選手

・アルプスに挨拶後ウキウキダッシュで砂入れる袋を取りに行った99年都立城東

・砂は持ち帰るなと監督に言われ、こっそりポケットにひとつまみだけ砂を入れたのに度忘れして洗濯した00年横浜高校の畠山

・グラウンド整備が行われる中各ポジションの砂をスパイクで掘り起こして持ち帰った浦和市立

・母校に砂を撒いた翌日に台風でグラウンドが決壊した浦和市立

・砂を持ち帰ることをモチベーションに戦った結果、夏の大会で優勝した佐賀北高校

まとめ

いかがだっただろうか。甲子園の土のエピソードはまだまだありそうだが、私が一番気に入っているのは「いっぱい持って帰ろうねー!!」という声を抜かれた02年の尽誠学園 選手である。気持ちは分かるが・・・。

高校球児の憧れでもある甲子園の土。私も手に入れてみたかったものだが。

実は通販で普通に買えるようだ。

甲子園に関する素朴な疑問をチェックしよう

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です